3月15日(日)「白糸あじさいの会」と「糸島市観光協会」の共催で白糸の滝周辺に「あじさいの苗」を植えました。
前夜かなりの雨が降り心配しましたが当日は曇りで、開始予定の10時には32名の会員さんが年度末の忙しい中、また貴重な日曜日を割いて集まってくれました。
受付で今年の会費を払い この写真を見る
観光協会事務局長の諸注意を受けた後 この写真を見る この写真を見る
渓流を挟んで二か所に分かれ右岸側に130株、 この写真を見る この写真を見る
左岸側に70株 この写真を見る この写真を見る この写真を見る を植えました。
参加者が複数回植樹の経験している事や地元関係者が一部前もって穴を掘っていてくており、地拵えも出来ていたので1時間足らずの間に終わりました。
苗木も花芽が着いていたので6月には開花するものもあるでしょう。
4~5年すると周りの先輩株に負けないくらいの大きさになり観光客の目を楽しませてくれると思います。
「白糸あじさいの会」のメンバーは、苗木や肥料代として毎年1,000円の会費を払い、滝近辺に「あじさいの花」を咲かせようと活動してくれている糸島市の仲間です。
6月28日(日)『アジサイ祭り』には「あじさいの切り花」プレゼントと観光協会主催の「餅まき」があります。
天然記念物の「萬龍楓」が台風により倒木したため景観が変わった滝(当日の様子・九大方面は霞んでいました)
3月1日(日)前日からの小雨で足元が滑り気味でしたが、長糸小学校隣接の長糸公園【荒毛が丘(北側には戦没者忠魂碑が設置されています)】古墳の調査結果について、糸島市教育委員会文化課の職員による概要説明がありました。
【注:写真説明文前の◎印は当日撮影したり入手した資料、◯印は編者が、事前に撮り溜めていた関連写真で、一部赤色文字記入個所は編者が説明文として書き加えました。】
◎傘をさしての説明会(稲葉伯耆の守祠前) この写真を見る
トレンチによる調査結果、全長約69m、後円部軽約35m、前方部長さ約34mの『前方後円墳』と確認されました。
後円部は全面葺石で覆われていただろうと言う事も想定されました。
◎『荒毛2号墳』調査現況図
◎この様にして築いただろうと言う想像図
トレンチ調査では土師器の小片が出土しただけらしい。
◯後円墳部の調査トレンチ この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◎前方部トレンチ この写真を見る
◯前方部トレンチの位置(シートの範囲) この写真を見る この写真を見る この写真を見る
この荒毛の丘は見晴らし良い場所なので、古墳の形状をうまく利用して、戦国時代は、城の役目を持っていた可能性が大きかっただろうと言うことも知りました。
(後円墳の東側約3m程下がった位置に平地があり、現在杉が植林されていますが、通常植林する為、平地に造成することは考えられず、古墳構築当時から平地だったのだろうと思われます。円墳頂上からは造林された杉木立がなければ、360度眺望が可能です。)
また、長野行政区の一集落で今も大事に祀られている『稲葉伯耆の守(高祖城主原田氏の家臣)』の言い伝えも裏付けされるとのことで、市教育委員会文化課の見解では、祠に使ってある石は此処の墳墓に使ってあった石棺を掘り出して使ったのだろうと言うことで、編者が子どもの頃、祖母から聞いた話も今回の説明で本当だったのだと認識できました。
ただ、集落の知人に尋ねたところ、昔、埋蔵物(副葬品?)の盗掘があったとの話は古老から聞いているが、詳しい人はいないだろうとのことでした。
◯稲葉伯耆の守の祠(内側に朱色が残っています) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
また、円墳部の少し外れた位置に平らな石が二個並べてあり石棺の蓋の可能性も有るとのことで再調査の結果が待ち遠しいです。
◯二つ並んだ平らな石 この写真を見る
『前方部』が戦没者慰霊碑前の駐車場部分ほとんど占めている事にはびっくりしました。(調査現況図を参照ください)
※編集後記
『荒毛2号墳』は糸島市教育委員会文化課では未調査古墳になっていました。
本来は工事着手前に『埋蔵文化財調査』は行われますが、今回の防災工事に関しては、防災工事の緊急性と既存法面の崩壊を防止する工事であり、防災工事と並行して調査を行う事が出来る程度の規模だろうし、古墳の形状から推測すると一部に影響が起きるかもしれない程度と考えられていたのだと思います。
しかし、当初考えられていた規模をはるかに超える大きな規模だったのでしょう。
〇防災工事の為に樹木伐採された既存法面
〇法面成形工事により露出した『後円部』葺石? この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
〇『後円部』葺石と思われるものも混じる残土 この写真を見る この写真を見る
〇『前方部』と思われる部分の法面工事 この写真を見る
〇法面途中に現れた気がかりな個所(色と自然石ではなさそうな埋設物及び穴) この写真を見る
再調査が行われることになればこの墳墓より掘り出して「稲葉伯耆の守の祠」に使われたと言われる石棺の一部に「朱」が残っており当時の墓に「朱」を使う程強力な力を持った人が居たことの証にもなり、未調査の石棺の覆い石と思われる石の下に石棺があれば、副葬品も期待できるし古墳本体に埋葬された人との関係、更に南側に数百メートル離れた長嶽山古墳群(14基)との関連等調べれば面白いだろうし考古学に興味がある人には期待されると思います。
この古墳は見晴らしの良い場所で、長野川沿いに発達したと言われる稲作によりこの地域に力を持った人が埋葬された可能性も大きいし今後詳しい調査が行われることに期待しましょう。
〇『前方部』より見た北側の眺望
それにしても長糸小学校に隣接している事は、調査結果が子ども達にも良い効果が生まれそうです。
2月27日(金)小学校給食に招待されました。
日頃、長糸小学校の学童達と関わりのある地域の方たちを招待して一緒に歓談しながら給食をする恒例の行事です。
小学生93名に地域の人50名程が一堂に介しての食事、久しぶりにランチルームも満員になりました。
招待された人は、図書室に待機し班別に小学生が迎えに来てくれましたが、十数班に分かれての移動となり着席するまで結構時間もかかりました。
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久しぶりに150食以上の準備、給食担当の職員さんたちも大変だっただろうと思います。
準備された招待者用の食事
(御飯用の米は白糸農園さんから提供されたそうです。
午前中公民館で行われた行事の一環『ドローイン体操』に参加した編者にとっては丁度良い量でした。)
時間的なこともあり揃った班から食べ始めるようにとの指示に従い、班別に班長さんの声に合わせ「イタダキマス」と手を合わせてから食べ始めました。
(都会の一部の学校では「イタダキマス」の言葉は給食費を払っているのだし不要だと言う保護者の意見で中止になった学校もあるとのことだが、食材に対しその命を頂いて自分たちが生かされていることへの感謝の気持ち、また食材に関わった人達や食事を作ってくれた人達への感謝の気持ちを表す言葉として大事なことだと思います。)
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ある程度食事が終わる頃に下級生~上級生の順に各学年の代表が前に出て、それぞれ団体の方たちに感謝の言葉を述べました。
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カメラを向けると、控えめにVサイン(ピース)をする人懐っこい小学生 この写真を見る この写真を見る この写真を見る