10月10日(土)~11日(日)にかけて秋季大祭が行われました。
10日午後8時本殿に於いて「遷宮祭」が行われ、三台の神輿は9時に下向を開始し長野川沿いのお旅所に到着し、ここで「淀祭」が行われた後、宮座の人に守られて一夜を過ごしました。
夜半雨と風で当番の人達は随分気をもまれただろうと思います。
翌日は雨も上がり、午前11時過ぎに「室小路祭」が行われましたが、少子高齢化が進む山村の伝統行事継承の難しさが顕著に表れた事例になってしまいました。
慣例なっている宮座の氏子による稚児が確保できず、宮座当人と神社関係者のみでの祭事と言う今まで経験をしたことがない祭典になってしまいました。
今後は稚児候補者の選出を宮座関係者に限定せずに氏子全体、或は街部の希望者を募って参列する稚児を確保することも検討する必要性があると痛感しました。(男女各一名の本稚児とお供の稚児十名程)
今までは神輿舁きの確保に苦慮して事前に手を尽くしていましたが、今後「秋季大祭」を継続するには従来のしきたりを見直す時期が来たのだろうと思います。
◇この祭りの主な流れは
初日(10月10日午後8時開始)
①遷宮祭:三台の神輿にご神体を移す祭典(修祓・祝詞のみ)神社関係者と神輿舁きは拝殿に上り祭事を行います。
参拝者は境内でお祓いを受けた後、全員一緒に参拝します。
その後、三台の神輿一台づつにご神体を移す間それぞれ担当の神輿舁きは拝殿で低頭して待機、ご神体を移す時は雅楽奉奏
ご神体を移し終えた神輿から順次境内で飾りの鳳凰を取り付け、お道具持ちと一緒に待機し三台全ての神輿にご神体を移し終わり飾りの取り付けが終わると「壱の神輿」⇒「弐の神輿」⇒「参の神輿」の順で揃って下向を始めます。
壱の神輿の後ろに楽師が続きお旅所に到着するまで雅楽奉奏を行いながら同行します。
昔は神輿を揺らしていたが、現在の神輿になってからは静かに移動します。(神輿が重くなったので揺するだけの余裕がありません)
②淀祭:長野川沿いに設けられたお旅所での祭典(修祓・献饌・祝詞・撤饌)献饌・撤饌の間は雅楽奉奏
初日は以上で終わります。
翌日(10月11日)
①室小路祭:午前11時に宮座当人・稚児・神社関係者が揃って神社境内を出発し約500m離れた室小路迄出かけここで上宮の方に向いて祭典を行います。(修祓・祝詞)
ご神酒(甘酒)と青豆2個を三回戴きます。(由来は不明)
午後1時より
②お旅所祭:三台の神輿の前で行います。(修祓・お汐井行事・献饌・祝詞・神官列拝・玉串奉奠・撤饌・神酒拝戴)献饌・撤饌の間は雅楽奉奏
神酒(甘酒)を参拝者全員戴きます。(秋季大祭のみ神酒が甘酒なのか由来はわかりません)
祭典が終了すると三台の神輿が揃って本殿に向かって進みます。下向と同じ様に雅楽の奉奏
午後2時半頃本殿に到着し、壱の神輿から順にご神体を本殿に移し終わり次第
③鎮座祭:拝殿には宮座当人・(稚児)神社関係者が上り、神輿舁き・一般参拝者は広場で祭典に参加します。(修祓・献饌・祝詞奏上・大払詞奏上・撤饌・全員で拝礼し式典終了)献饌・撤饌の間は雅楽奉奏
④末社巡拝:神官のみで末社(三社)を巡拝します。
⑤餅まき:拝殿前の広場に向かって拝殿回廊から神社関係者により紅白の餅を撒きます(今年は50㎏準備しました。
以上で二日間にわたる祭典は終了です。
◇順不同でスナップを載せてみます。
※準備作業
◯祭典1週間前の宮草打ち(境内・神輿道等全体の草刈清掃を氏子総出で行います) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
今年は大〆降しも同じ日に行いました。 この写真を見る (宮座当番の氏子により注連縄を造り古いものと入れ替え、各所飾り、宮座当人と宮司宮方によるお汐井とり。⇒深江海岸まで出向き海水で禊ぎの後、お汐井砂と海藻を採取して持ち帰り境内二か所の汐井場に奉納します)
◇祭典当日の準備(宮座の氏子総出で行います約20世帯)
※祭りの幟旗あげは旗竿を立てるのが大仕事です。
◯お旅所のテント設営(宮座の人により行います) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯幟(一の鳥居前) この写真を見る
◯幟と鳥居の樫の木飾り(二の鳥居前) この写真を見る
◯幟の頂部(風向きにより回転するようになっています。強風時には竿を倒さずに幟を下げられる様な仕組みになっていたらしいけどその要領が現在では長老に聞いても分かりません) この写真を見る
◯拝殿前幟旗(神輿と一緒に運びます) この写真を見る
◯手水舎(新調された柄杓と手拭き、手水舎は二か所あります) この写真を見る この写真を見る
◯拝殿内の神輿(三台の神輿を神輿蔵から出して準備します) この写真を見る
◯設営が終わったお旅所とお汐井場周り・大注連縄(長野川対岸よりの展望、昔は川の中に対岸まで行ける飛び石がありました) この写真を見る この写真を見る
◯拝殿でお祓いを受ける関係者と楽師 この写真を見る この写真を見る
◯参拝者へのお祓い この写真を見る
◯神輿の移動準備 この写真を見る
◯神輿へご神体を移す間の神輿舁き この写真を見る この写真を見る
◯雅楽奉奏中の楽師(グループ名:笛吹き童子) この写真を見る
◯神輿の飾り取り付け(ご神体を移し境内に運び出した神輿の上に鳳凰の飾りをつけます) この写真を見る この写真を見る
◯下向(本殿からお旅所間迄の道中) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯お旅所到着(お供道具飾り付け迄スナップ) この写真を見る この写真を見る
◇淀祭
◯祭典開始・修祓 この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯献饌(献饌中の雅楽奉奏共) この写真を見る この写真を見る この写真を見る
初日の祭典は以上で終わりですが、午後6時から夜店が出て参道も賑わいます。
長糸小学校5・6年生の子どもミコシも参加
午後7時半ころ小学校から担いで来て拝殿回廊に運び込みお祓いを受けた後三台の神輿の後に続いて参道出口まで「ワッショイ!ワッショイ!」と元気よく歩きます。
下級生憧れの参加行事です。
神社正面石段は長野行政区と川付行政区子供会のメンバーが作った灯篭が石段を照らします。 この写真を見る この写真を見る
各々好きな絵を描いた力作揃いです。 この写真を見る
※夜店を覗いて見ました。
参拝者の食欲を満たす食材は早朝から準備され直前まで温められた温かいものも多数あります。
◯準備に忙しい夜店のメンバー(氏子の奥様方) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯子どもに人気の夜店 この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
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※この祭典は神社境内を出て南東方向に約500mほど離れた「室小路」と言う地名の場所で行います。
午前11時に揃って境内を出発し徒歩で祭事場まで向かいます。
現在は田のあぜ道で行っていますが、昔は隣接した田の中で行っていました。
祭典の日までに刈り取りが終わっていない場合は、稲を踏み倒して祭事場を作っていたとのことです。
この祭典の起源については、神功皇后が仲哀天皇の「モガリ」の場所を決めるのに近所の子どもの意見を聞いたとの一説もあります。
式典で拝礼する方向は仲哀天皇を埋葬した場所と言われる「上宮(奥の院)」の方向に向かって行います。
◯神社を出発し祭典会場へ(通常であれば本稚児男女各一名とお供の稚児数名が随行します) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯修祓 この写真を見る
◯祝詞奏上 この写真を見る
◯神酒及び青豆拝受(理由は不明ですが、宮司・宮座当人・本稚児は神酒を頂いた後、青豆を二粒食べてまた神酒を頂き青豆二粒食べることを三回繰り返します) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯参列者神酒・青豆拝受(参列者は神酒と青豆二粒を1回だけ頂きます) この写真を見る この写真を見る
◯帰路(祭典終了後神社へ移動、到着は正午頃になり、宮司・宮座当人・本稚児は昼食を一緒に頂きます) この写真を見る
◇お旅所祭
午後1時より長野川沿いに設けられたお旅所から本宮へお戻りいただく祭典がおこなわれ、最後に参拝者も皆でご神酒(甘酒)を頂いた後、神輿が本宮に向かいます。
◯テント(仮宿)内での準備と参列者 この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯お汐井行事(宮方が椎の木を長野川のお汐井場で湿らせ神輿を清めます) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯修祓(宮司又は祢宜によりお供え物・神輿・宮司・宮方・宮座当人・氏子総代・神輿舁き・楽師・参拝者の順でお祓いをします) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯献饌(宮方と祢宜が氏子や近郊の方から奉納されたお供物を三台の神輿に御供えします) この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯大麻行事 この写真を見る この写真を見る
◯祝詞奏上 この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯玉串奉奠(宮司・宮方・氏子会長・宮座当人・氏子総代・神輿舁き代表・楽師代表・参拝者代表で行います) この写真を見る この写真を見る
◯撤饌 この写真を見る この写真を見る
◯神酒拝受(参加者全員で頂きますが、この祭典は昔から甘酒です) この写真を見る この写真を見る
◯宮司による挨拶 この写真を見る
◯お道具渡し(壱の神輿から順にお道具持ち担当者に渡されますが、昔は男手だけで行っていましたが、最近は重い御神鏡以外は女性も担当します) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯神輿の出発【下向時も同じ順序ですが、先頭に社名旗・鉾(両脇に猿田彦)・八旗(横に四本並び二列)、左脇に万歳旗・台弓・白幣、右脇に五色絹・太刀・金幣と並び神鏡の後ろに神官左脇に氏子会長・責任役員右脇氏子総代・壱の神輿と続き、その後ろ楽師が奉奏しながら同行ます。その次に左脇に万歳旗・台弓・白幣、右脇に五色絹・太刀・金幣、中央に神鏡、左脇に祝詞筥・稚児(男児)、右脇に祓い串・稚児(女児)中央に祭主(宮座当人)左脇に宮方・氏子会長(現在欠員)・責任役員、右脇に宮方・氏子総代、中央に弐の神輿と続きます。最後尾は左脇に万歳旗・台弓・白幣、右脇に五色絹・太刀・金幣、中央に神鏡、その後ろに参の神輿と続き、その後ろを参拝者が続きます。神輿の移動に必要な氏子は神輿舁き24名、お道具持ち38名が必要で、神輿道の途中の坂を上るのも一苦労ですが、昔は石段で上下向を行っていました。】 この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯神輿頂部の飾りを外し拝殿へ この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯神輿舁き(のご神体を移す間待機し任務終了) この写真を見る
◇鎮座祭
◯修祓(御供え・宮司・宮方・宮座当人・氏子総代・楽師・参拝者の順でお祓いを受けます) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
◯献饌(昔からの慣習通りの御供えの材料調達と準備に宮座の人達は苦労します) この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
献饌が終わると祝詞奏上がありその後撤饌に移ります。
◯撤饌 この写真を見る この写真を見る
撤饌が終わると参列者全員で拝礼し祭典終了。
◇餅撒き
最近は衛生上紅白の餅を袋に詰めて行いますが、袋詰めのタイミングと作業が宮座の人の悩みの一つです。
今年も50㎏の餅を搗いたのでその数の多さに大変だったろうと思います。
◯餅撒き この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
今年の秋季大祭は無事終わりましたが、宮座の人達は幟やテントの後片付けの仕事が残っていますし、神輿舁きが使った24名分の衣裳洗濯が大仕事です。
※豆知識
①神輿の周りには、各面に3枚、計12枚の白銅メッキの鏡がぶらさがっていますが、正面の1枚は享保13年(287年前)製となっています。 この写真を見る
②大鏡の内1枚の台座裏面には嘉永4年(164年前)の書き込みがあり神在の方達からの奉納となっていますが、鏡本体の奉納者名は見落としていました。 この写真を見る
③もう1枚の台座裏面には文久2年(153年前)に奉納されていますが、鏡面の裏は筆者の曽祖父の名があり、鏡と台座が別々に奉納されたのか定かではありません。 この写真を見る
もう一枚は確認することが出来ませんでした。