◆お断り(11月10日)最近このブログに心無い人によるスパム的な書き込みがあるため当分の間コメントの書き込みを出来ないようにします。ご不便を掛けますが当分の間お許し下さい。
10月26日(金)朝方小雨で心配していたけど午後になったら晴天になり予定通り終わりました。
一部肥料が利き過ぎた箇所も見受けられたが全体的によく実っています。
残念なのは周りの田が「うるち米」で数日早く刈り取られていた為、稲として残ったのはこの田のみになり「猪」の食害を一部受けてしまいました。親が子猪(ウリン坊?)の為に倒した跡(中央上の方の倒れた範囲が子猪が食べやすいように倒した部分)この写真を見る猪が通った跡この写真を見る 食べこぼした籾と足跡(右下の方に籾がこぼれています)この写真を見る 踏み倒した稲は動物臭く他の稲と一緒にすると全体に匂いが移る為、廃棄するか田に放置して餌にする予定で小学生が来るまでにシニアクラブの人に刈り取って貰い、この写真を見る 束ねて別に置いておきました。(作業終了後気付いたが、学童が一緒に干し場に運び混じってしまった様です。脱穀前に見つけ出す必要があります。結束方法を変えていたので多分探し出す事も可能でしょう。)
全校生徒が田の前に集合しこの写真を見る 協力してくれるシニアクラブ役員さんこの写真を見る に挨拶し刈り方の手本を見せてもらいこの写真を見る 田の北西側と南東側に分かれて作業に掛かりました。この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
下級生に要領を教えながら見守る上級生のスナップ
刈り取りが進み後は4~6年生に任せ、1~3年生は記念写真を撮って先に学校へ引き上げました。1年生は初めて自分達も田植をし収穫を喜ぶ貴重な体験が出来たでしょう。この写真を見る この写真を見る この写真を見る
掛け干しの準備も出来いて結束した稲を竿竹に掛けていきます。この写真を見る この写真を見る
小学生全員が引き上げた後、予想より束数が多く二段掛けもしましたが間に合わずに近くの宇美八幡宮の山から竹を分けてもらい五時前に無事終了しました。この写真を見る
◆【追加掲載】当日の作業中のスナップ紹介
それぞれ手分けしてこの写真を見る この写真を見る この写真を見る 運び方も多様 この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 束ね方を先生に習っている子どもこの写真を見る 結束用の藁が短い為少し長くする要領も習いました。この写真を見る 結束するときのコツこの写真を見る 子どもには少し難しかったかな?この写真を見る
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◆14日室小路祭:子どもの無事成長を願う祭典で、宮座の子ども(7歳以下:今年の稚児は男児3名女児5名)を稚児として行う祭典です。

午前9時頃から神官宅で着付を行い約一キロの道のりを神主・宮座当人・宮方と一緒に歩いて11時頃から行われる祭典の場所「室小路(仲哀天皇が宇美八幡宮の位置をこの場所から見て決められたと言う言い伝えと、この近くで亡くなられたとの二説があります。)」まで出かけます。祝詞が奏上されこの写真を見る お払いを受けこの写真を見る 神主に合わせて小さな手で拍手を打ち、この写真を見る 少し疲れ気味になりますがこの写真を見る 「豆(ゆでた青豆)」を頂きこの写真を見る 「お神酒」を頂きます。この写真を見る 先に頂く人に興味津々の顔がとても可愛く感じました。この写真を見る この日の祭典に用いられる「お神酒」は全て「甘酒」です。祭典が終わると又来た道を歩いて宮司宅まで向かいこの写真を見る 昼食を摂り、午後1時からの「御旅所祭」「鎮座祭」まで長時間参加します。 きっと今夜は疲れて熟睡することでしょう。
◆御旅所祭:遷宮祭が終わり宮座の当番役に見守られ一晩御旅所に安置された三台の神輿の前で行われます。この写真を見る 【この場面の写真の多くは荻浦の溝口氏提供の物です。】宮方の「お汐井行事(椎の木に長野川の聖水を含ませ三台の神輿を清めます。)」で開始され、宮司による修祓この写真を見る この写真を見る の後三台の神輿にそれぞれ神饌が供えられます。(氏子や近郊の方からの供物も一緒にお供えされます。)この写真を見る この写真を見る 神饌が供えられる間、楽士による雅楽(越天楽)が奏でられます。この写真を見る 神饌のお供えが終わると「祝詞」が奏上され「大麻行事」が行われ続いて「玉串」奉奠、稚児も保護者と一緒に玉串を供え可愛い手での拍手を打ちます。この写真を見る この写真を見る この後「撤饌(供えた神饌を下げる)」が行われ「神酒(この祭典では甘酒)」を全員で頂きます。(待機中の神輿担き手スナップ)この写真を見る 式典が終わり広場へ出て来た稚児もホット一息(式典の間藁製の円座の上で我慢しておとなしく座っていました)この写真を見る この後神輿に続いて本殿までお供します。(稚児は本殿で行われる鎮座祭にも参加するのでこの日は朝の室小路祭りから引き続き三回の祭りに座ることになり大きな試練に耐える一日です。)
◆おのぼり:御旅所祭が終わると壱の神輿から順次境内まで移動しご神体を本殿に移し「鎮座祭」を行います。(▼お旅所を出発した壱の神輿とお供スナップ)この写真を見るこの写真を見る (▼宮司・楽士も壱の神輿に随行します)この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る (▼一の鳥居を潜るまでは鳥居の貫きに飾りの鳳凰が引っかかる恐れがあり抱えて潜りますが、肩に担ぎ上げる時に神輿担ぎの呼吸が合わないと転倒の危険があり一番気を使う瞬間です)この写真を見る この写真を見る この写真を見る (▼道中境内までの坂道、御くだりでは気にならないけど御のぼりの時は一番辛い場所で、担ぎ手の身長を揃えるのも大事です)この写真を見る
鎮座祭の神饌は昔から伝えられている供物を準備しますが、宮座の人にとっては品集めの苦労と供える餅も独特の形と大きさに作るのも一苦労です。(この写真を見る この写真を見る この写真を見る この盛り合わせを三組作ります) ただそのために宮座の人皆が一堂に集まり宮司や経験者に教えてもらいながら和気藹々と準備するコミュニケーションの場にもなっています。
◆餅撒き:鎮座祭が終わると宮司・役員・氏子総代によって餅まきが行われます。(▼今年は稚児にもその役をさせましたが稚児も大喜びでした。)この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る
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13日午後8時遷宮祭が行われました。
夜店は午後6時から開店
参道の石段は長野・川付子ども会によって準備された灯篭により幽玄さを醸し出していました。この写真を見る 【10/16荻浦在住の溝口氏より提供頂いた写真(▼印)を追加しました】 ▼子どもの夢を描いた灯篭の一つをアップ この写真を見る ▼ご神体を移す前の壱ノ神輿と参ノ神輿この写真を見る この写真を見る 三台の神輿には本殿まで届けた神輿かきが拝殿に待機しこの写真を見る 楽師による雅楽演奏の中この写真を見る 御神体が移された後、氏子のお供と一緒に三台揃って雅楽の演奏の中お旅所まで移されます。 ▼千年以上の昔から祭典を見守ってきたであろうイチイガシ(戦時中、この木に寄生しているシーボルトコギセル貝を凱旋貝とも呼称されるので出征される方がお守りとして持っていかれたという話が伝えられています。現在糸島市の保存樹)この写真を見る
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