IT長糸の風へようこそ!

豊かな山林と水源を有する「長糸」で活動するサークルです

長糸小学校五年生が「九大寺子屋」の学習を受けました。

25日午前10時半過ぎに小学校に伺ったら丁度「九大寺子屋」を行っているので見ませんかと校長先生に案内されて五年生の教室を覘きました。
(「九大寺子屋」とは2015年9月から市内の小中学生の学習意欲の向上を図る一環としてと九州大学の学生が小中学校に出向いて学習のサポートや知的好奇心を刺激する授業を行う取組みです)
 行われていたのは天気予想についての学習でした。
九大生も小学生に理解できる様、気を使って教えてありましたし、普段見る機会がないラジオゾンデの本体見本を手に取って見せたり図や写真を主体にしたパワーポイントによる説明が行われていました。
五年生は、二学期の学習で天気についての学習があるとのことなので効果的な予習になっただろうと思います。
◯授業風景スナップ  この写真を見る この写真を見る  この写真を見る
◯手伝いに見えていた方々(一部)  この写真を見る 

久しぶりに教室に入りましたが、外窓側に2台のエアコン、天井に4台の扇風機が設置されており二学期からの勉強に身が入るだろうな~と思いました。
◯エアコンと扇風機  この写真を見る 

最後にクイズ問題を出され、私も一枚いただけたので挑戦しました。
あなたも挑戦してみませんか?
◇問題用紙

何問解けましたか?

正解は次の回答の「正解」を開いて参考にして下さい。
:回答書はワード2013で作っています。
  正解をクリックするとInternet Explorer が開き 「開く」「保存」「名前を付けて保存」のメニューが開きますので「開く」を選択してご覧ください。
 ◯回答 正解

長糸小学校の先生たちと校区内の名所・古跡(史跡)巡りを行いました。

8月23日(水)重富校長・教頭、他9名の先生方と校区まちづくり委員会歴史文化部会の波多江会長、吉丸元会長、私の14名で校区内の長野、飯原、川付の名所・古跡(史跡)の主な部分を巡るフィールドワークを行いました。
◇フィールドワーク計画書(私達が事前に提出した資料を学校側で纏めてくれていました)
 
学校の【授業を進める上で地域の歴史的なことなどを知った上で地域に誇りを持てる児童を育てる一環として役立てたい】とのことで、説明役は飯原については、波多江会長、長野については吉丸さん、川付については私が引き受けました。
午前9時から長糸公民館で、主事の手を煩わせながら歴史文化部会でまとめた出来たてホヤホヤの「長糸校区」全体の説明用パワーポイントを使って約30分程度のオリエンテーションを行いました。
◇長糸校区の案会(パワーポイント)

◯校区全体の説明内容抜粋  この写真を見る  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
◯祭り
・行事  この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
◯食事処と直売所・特産品・郷土料理  この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
◯懐かしのながいと  この写真を見る
 雨台風
被害もあった  この写真を見る  

◇白糸行政区編

◯紹介内容抜粋  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
 
◇川付行政区編

◯紹介内容抜粋  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 

◇長野行政区編

◯紹介内容抜粋  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 

◇飯原行政区編

◯紹介容抜粋  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る  

◇本行政区編

◯紹介内容抜粋(今回は現地に行きませんでした)  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 

◇瀬戸行政区編

◯紹介内容抜粋(今回は現地に行きませんでした)  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 

※編集に携わった歴史文化部会メンバー  この写真を見る 
◇フィールドワーク  
オリエンテーションが済んで10時少し前に
5台の車に乗り合わせ、長野行政区に向かいました。
長野では、最初に昭和3年の大嘗祭主基斎田候補地の石碑とその選に最終的に洩れた事やそれを契機に「村おこし」の始まりとも言われる「長糸郷土振興大会(今年で90回目)」との関係の説明、引き続き昭和8年の献穀斎田跡地に向かい先人の郷土に対する熱意等の説明が行われた後、午後10時頃から白糸の滝に向かいました。
◯主基斎田候補地記念碑前  この写真を見る 
献穀斎田跡地前での説明会  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
  
夏場の土日はこの時間は観光客の車で一杯ですがウイークデイのせいかスムーズに向かうことが出来、滝を背に記念写真を撮った後
「小水力発電」の設備を見学して貰いました。
昼食を済ませて次の目的地に向かう頃には駐車待ちの車が20台以上になっていました。
◇滝を背に記念写真

◯九大伊都キャンパス遠望(冬の晴れた日はもっとはっきり見えます)  この写真を見る 
 ◯滝を眺め寛ぐ参加メンバー  この写真を見る 
◯ヤマメ釣りと水辺で楽しむ観光客  この写真を見る この写真を見る 
◯滝壺に入り楽しむ観光客(お爺さんとお孫さん?)  この写真を見る  

晴天が続き降雨が少ないせいで水量が少なく2台ある発電機の内1台は発電休止となっていました。
2台がフル活動をすると白糸の滝「ふれあいの里」で使う電力は十分賄うことが出来るのですが、今日は6~7kw/hしか発電していませんでした。
◯小水力発電設備に向かう参加メンバー(急坂が終わり一安心)  この写真を見る 
◯小水力発電設備の見学(内部は蒸し暑かったです)  この写真を見る 
◯木陰で一休み  この写真を見る 
小水力発電設備の説明を聞く  この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
 発電設備  この写真を見る 

小水力発電設備の見学が終わると少し早めの昼食を「ふれあいの里」で取りました。
◯ソーメン流しに舌鼓  この写真を見る この写真を見る  
◯食後の一休み  この写真を見る  
九大伊都キャンパス方向の眺望  この写真を見る 

12時過ぎに飯原の雷山神籠石と不動池、不動滝に向かいました。
車は神籠石入り口に止め徒歩で向かいました。
駐車したすぐ近くにも神籠石があり道路脇には旗振り山への登山道もありました。
◯旗振り山登山口前での説明  この写真を見る  
筒城跡に向かう一行(ここは比較的平坦な道)  この写真を見る  
◯筒城神社跡で説明を聞く(直ぐ脇に山の傾斜沿いにある神籠石)  この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
◯神籠石の説明写真に出てくる水門  この写真を見る この写真を見る 
山道脇にある神籠石と説明を聞く  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
 史跡指定の碑 
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 水門 
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 筒城跡で筒城神社の説明を聞く
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神籠石までは苦になりませんでしたが、ここから不動滝までの約700mの距離は行きは急な下りの坂道で道幅も狭く獣道的感じの中を歩いて向かいました。
 この滝は3段になっており規模的には「白糸の滝」に負けないほどの隠れた存在で全長約70m弱あるそうです。
今回は中間にある2の滝(中の滝とも言い約28m)まで行きました。
◯不動滝(昔は筒滝と呼んでいた)中の滝にて小休止

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◯不動滝から差峨里方向の眺望  この写真を見る 
すぐ横には野村望東尼が勤王の武士を匿ったと言われる不動明王を祀った庵がありましたが数年前地元の人の高齢化が進みお祀りするのが困難になったと言うことで仏像は雷山千如寺に納められたので建物も解体されていました。
◯跡地の記念碑  この写真を見る 
不動滝で一休み  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
帰路は急な登り道、途中数回休憩しながら駐車した場所まで戻りました。
◯休憩しながらの帰路(3回ほど休みました)  この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
 
雷山経由で雉琴神社まで行き「雉琴の市」で軽い休憩の後神社の説明を受けました。
雉琴神社の説明を聞く  この写真を見る この写真を見る 
 松田五六郎の碑(幕末の福岡藩士であったが佐幕派の重鎮を暗殺、脱藩して萩藩に加わり禁門の変で敗れ天王山で自決した)  この写真を見る 
その後、宇美八幡宮に向かい本殿前に駐車して寿齢千年以上の「いちい樫」に寄生している「凱旋貝(シーボルトコギセル貝)」の現物を見た後、上宮まで向かい由緒の説明を受けましたが、不動滝への道に比べると歩き易さは格段の差がありました。
宇美八幡宮の説明を聞く  この写真を見る この写真を見る 
 狛犬の刻字を確認(糸島市内に現存する狛犬では一番古いと言われている)
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 いちい樫に寄生した凱旋貝を発見  この写真を見る この写真を見る 
 上宮の説明を聞く  この写真を見る この写真を見る 
 また最近は神社境内やこの道が忍者装束や昔風の衣裳等のコスプレ同好の人達に人気が出ているとのことです。
本日のスケジュールも終わり公民館まで向かい、校長先生差し入れの「スムージー」をご馳走になり解散しました。
初めて口にした「スムージー」がこんなに美味しい物だとは思いませんでした。
病みつきになりそうです(笑)
参加したみなさんお疲れ様でした。
     
     

五年生にGuest Teacherとして「長糸の米作り」について話をしました。

7日(金)午前(11時~)表記の授業の手伝いをしました。
昨年作った資料(パワーポイント)に一部追加や手を加えデジタルテレビを使い図書室での授業です。
田植えが済んだ田園の風景(表川付から長野・飯原方向の眺望)

最初に長糸では何時頃から米作りがあっていたのだろうと問いかけました。
 この事については授業で習ったことを覚えていたのか殆どの子が挙手をし元気に答えてくれました。
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続いて、「お米についての豆知識」と言う事で、米は世界の三大穀物の一つであり、ジャポニカ米・インディカ米・ジャパニカ米に大きく区別され、含まれるデンプンの種類により、うるち米・もち米と区分され、酒米(山田錦:糸島産は全国的に有名で長糸にも耕作者は多い)についても少し触れました。
 古い資料しか入手できなかったけど、日本で作られている米の銘柄20種類の内、主に長糸で作られている銘柄と、古代米と言われブームにもなっている赤米・黒米についても触れました。
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続いて、歴史的なことについて発掘調査された遺跡や古墳から想像すると既に長糸に人が住んで集落を構成し耕作をしていたであろうと言う事、既に戦が行われていた痕跡が古墳から想像されること、ネットに当時の生活の様子が分かる絵があったので一部加筆して生活の想像図も使いました。
また、長糸には遺跡や古墳が多いことにも触れました。
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長糸の米作りについては、長糸の住民として知っておいて欲しい「主基斎田」についての話に入りました。
昭和3年、主基斎田候補に上がり村民みんなが期待していましたが、最終的には脇山村(現在の福岡市早良区脇山)に決まり村民はがっかりしました。
「落胆するだけではいけない。このまゝでは長糸村は衰退する。」と、当時の村長「井上俊一氏」の掛け声でこれを契機に ①真直ぐな道を作ろう と現在の県道「前原富士線」の基線となる道づくり ➁時間を知ろう と役場にモーターサイレンの設置 ③毎年村民が一堂に集まり話し合おう と「村興大会」が行われ、現在の「長糸郷土振興大会」に引き継がれ、今年で98回目と続いていること、献穀米の奉納にはもれたが、大嘗祭に使う藁を奉納する様ご下命があり藁を奉納したことや御大典を祝って村内の各お宮で祭典が行われ、長糸尋常高等小学校でも御大典を記念し運動会も開かれたことについて触れました。(スクリーンを見て当時の学童数の多さに驚嘆の声が聞こえてきましたし、尋常科のみで卒業する人が多かったとおうちの人に聞きましたと言う声もありました)
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昭和8年の新嘗祭に献穀した事と昭和60年の新嘗祭にも献穀した実績があり明治時代から海外の博覧会で入賞したり九州各県共進連合会では度々一等賞を獲得するなど米作りに熱心な地域であり美味しい米が作られていること、と昭和8年の献穀の様子を当時の記録写真に基づいて伝えました。 (蛇足:昭和8年、献穀斎田の太田主「井上重助」氏は村長「井上俊一」氏の父親で私の曽祖父に当り「井上俊一」氏は私の祖母の兄です)
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本題に戻り、昭和30年代までは牛馬や人手による稲作が機械化されて来た事、稲作農家が激減し稲作面積も激減して来た事、ただ、農家数は減少しているが稲作面積が僅かだが増えていること、を統計表とグラフを基に何故だろうと考えてもらうと子どもなりに適格な分析判断をした考えを述べてくれました。
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稲の害虫や病気について主なものを説明し、平成25年に学校実習田が、被害を受けたことも示しておきました。
この時は今の五年生が2年生の時で記憶に残っていたようです。
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稲作にはきれいな水が必要で川から田に水を引くために作られた堰堤の移り変わり(堰板方式から自動式へ)や昔、長野川から引きこんだ羅漢川水系で水騒動があり現在もそこの堰については、この水利に頼っている範囲と該当する八行政区の水利関係の代表者が毎年田植え前に集まって取水時間の取り決めなどの協議を行っている事などにも触れ、川のきれいな水と環境を守るため地域住民総出で川土手の雑草刈りや田に水を引き込む溝を守るための溝浚えに共同作業を続けている事も伝えました。
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最後に授業二日前の実習田の様子を示し、数年ぶりにオタマジャクシの姿を見掛けたけど、中干しがそろそろ始まるのでオタマジャクシが無事に育ってくれるだろうかと心配だと言う事も伝えました。
授業の終わりには質疑も活発に出て地域の稲作に興味を持ってくれたことは嬉しく感じました。