市同研・社会教育部会・同和研究分科会の研修視察に参加しました。

1月18日(日)~19日(月)にかけ、表記分科会7名のメンバーで、唐津市~呼子市~平戸市~生月島方面に研修に出かけました。

唐津市では、「旧高取邸(国の重要文化財)」を見学し、唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2,300坪の敷地に立てられた和風建築で、杵島炭鉱等の炭鉱主であった、高取伊好氏の住宅。
建築・美術的にも興味ある建物であったが、内部の撮影禁止の為一枚も写真を撮らなかったし外部も気が向かなかったので川上館長撮影のデータを頂いた。
〇外部写真  この写真を見る  この写真を見る この写真を見る 

続いて呼子市の「鯨組主中尾家屋敷」を見学。
江戸時代の建物と言われているが、ここも撮影禁止のため写真は撮らずじまい。
二階の柱に埋め木の後があり、梁(横材)を架け渡して長いものを収納していたのではないかと思うが、市の文化課では単なる柱への切込み程度で持ち主が変わった時に行われた埋木との見解で、当初の目的追及の研究・確認が行われていないのだろう、と思った。

昼食後映画「にあんちゃん」のロケ地跡に行った。
〇記念碑  この写真を見る  この写真を見る 

その後、唐津市肥前町高串にある殉職警官を祀る「増田神社」に行った。
明治時代この地区で流行った「コレラ」患者の対応で、現地に赴任し四日目には自分も感染し25歳の若さで亡くなった増田啓太郎巡査を祭神として祀ってある全国で唯一の神社とのこと。
鳥居が四か所あったが、一の鳥居と四の鳥居は「増田神社」の額になっているが、二の鳥居は「巡査大明神」参の鳥居は「秋葉神社」となっているのを疑問に思いネットで調べたら増田巡査について【財団法人地域活性化センター「伝えたいふるさとの100話」】に説明されており、また、【警神・増田啓太郎ー西野神社社務日誌】にも詳しく書かれていた。
佐賀県警のホームページにも掲載がありました。

興味がある方はネットで「増田神社」と検索し見て下さい。
〇登り口(一の鳥居:増田神社の額・昭和52年建立) この写真を見る この写真を見る 
〇二の鳥居(巡査大明神の額・紀元二千五百年記念建立⇒昭和15年建立)  この写真を見る 
貫の部分にスチールによる補強が成されていた この写真を見る 
〇参の鳥居
(秋葉神社の額・明治39年建立) この写真を見る この写真を見る 
〇四の鳥居(増田神社の額・明治39年建立) この写真を見る この写真を見る  この写真を見る 
〇本殿(拝殿) この写真を見る 
〇碑文と由緒書  この写真を見る この写真を見る
〇狛犬(金色に着色の為か牙が異様に大きく感じた) この写真を見る この写真を見る 

宿舎(平戸)に向かう前に寄り道して鷹島に立ち寄りモニュメント広場で少し休憩、対岸には玄海原子力発電所が眺望できた。
〇モニュメントの前 この写真を見る 
〇玄海原発眺望(黄砂の影響か霞んでいる) この写真を見る 
以前、九電関係者から防災、外部からの破壊工作等にも万全を期していますとの説明を受けたが、海上からのテロ行為は大丈夫なの?と感じた。
監視装置はあるのだろうけど・・・・・

宿舎は平戸の蘭風、築37年を経過したホテルであったが、特に古びた感じは受けなかった。
ただ、コンクリート粗面仕上げ部の風化と、エレベーターの始動時と停止時に少し違和感(急発進急停止をした様な軽いショック)を覚えた。
天気がよければ客室からの風景はもっと素晴しいだろうと思った。
食事は宿泊料から考えると満足できる。
従業員による鰤の解体実演・太鼓の演技、中国雑技団によるショーも食事をしながら楽しめたし、それを見物できる広さの食堂も建設当時の時代感覚を引き継いでいるように感じた。
〇客室(三人部屋・一人は畳の間に布団敷) この写真を見る 
〇客室からの展望(夕方と朝方) この写真を見る  この写真を見る この写真を見る
〇本日の夕食の一部(ご飯は山菜入釜飯・料金の割には良好) この・写真を見る この写真を見る 
〇食堂(舞台付きで三階) この写真を見る この写真を見る 
〇従業員による鰤の解体実演(刺身は客に無料配分) この写真を見る  この写真を見る 
〇従業員による郷土芸・太鼓演技 この写真を見る この写真を見る
〇中国雑技団によるショー
・帽子による芸
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・ヨーヨーによる芸 この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
・フラフープによる芸 この写真を見る この写真を見る 
・樽廻しの芸 この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
・宙吊のリングの芸 この写真を見る この写真を見る  この写真を見る
・百面相早変わりの芸 この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
・縄跳びの芸 この写真を見る この写真を見る 

翌朝午前9時に出発し島内を案内してくれるガイドさんとの落合場所「島の館」に向かった。
〇島の館とクジラの親子モニュメント この写真を見る この写真を見る 

予定より早く到着したので、時間調整を兼ねて館内を案内してもらった。
館内には数年前訪れた時には無かったが、階段利用が困難な人の為に一人乗りの「階段昇降用リフト」が設置されていたので、長糸公民館へ導入を検討するのに参考にならないかと試乗をさせてもらった。
〇階段昇降用リフト この写真を見る この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
運用面での意見を聞かせてもらったが、長糸公民館での使用条件等を考えると、問題点が多くこのタイプの昇降設備は推薦出来ないと感じた。

ガイドさんの案内で「生月観音」に向かった。
〇観音像(上部の像には大きな真珠が) この写真を見る この写真を見る 
〇説明を受けるメンバー この写真を見る 
〇設立趣旨説明板 この写真を見る この写真を見る 
〇集落風景(隣家同士の壁が接した漁師町独特の家が多い・時化の為底引き網船団の母船が数艘係留していた) この写真を見る  この写真を見る 

次に「山田教会(カトリック)」に向かった。
〇教会外観 この写真を見る この写真を見る 
〇前庭モニュメント この写真を見る この写真を見る 
明治時代になりキリスト教が解禁され布教も行われて新しくキリスト教を信じる人や「隠れキリシタン」から元のクリスチャンに戻った人を対象に建設されたと言われている。
しかし、禁教時代に迫害を受けて来た「隠れキリシタン」と言われる人達の多くは、200年以上守り通して来た信仰を捨てることは出来ないと、新たなクリスチャンとはならず家には神棚、仏壇を設け、特別の部屋を作ってそこで今も「オラショ」を唱えているとのこと、また「オラショ」は禁制時代の流れで、いまだに口伝で行われており、地域によって「オラショ」の内容等は全然違うらしい。

次に向かったのは「塩俵の断崖
玄武岩の柱状節理の名所(志摩の芥屋の大門と同じ柱状節理だが、個人的には芥屋の方が、形状が美しいと思うのは贔屓かな?)
〇説明板 この写真を見る 
〇断崖と荒波 この写真を見る この写真を見る この写真を見る 
〇断崖を背に記念写真 この写真を見る 
次々と打ち寄せる波頭⑧-6 P1080987 (2)-w760

今回の研修で最後に訪れた場所は「大碆(オオバエ)鼻灯台
生月の最北端に位置しているそうです。
ただ、灯台周辺の広場等が整備工事中の為、一部入れなかったのが残念です。
〇灯台に設置されていた表示板 この写真を見る 
〇広場に設置されている地図盤 この写真を見る 
〇灯台からの展望 この写真を見る この写真を見る   この写真を見る この写真を見る
〇灯台展望台で説明を受けるメンバー この写真を見る 
〇大碆(オオバエ)の断崖 この写真を見る 
〇灯台を背に この写真を見る
〇駐車場へ向かう途中 この写真を見る 

もう少し見学する予定であったが予定先がトンネル付近の崩落事故で通行できないと言う事で迂回すると時間的にも厳しくなるので、今回は諦め帰路についた。

途中禁教時代に隠れキリシタンの殉教場となっていた「中江の島」もあったが霞んで視づらかった。
距離的には生月大橋から見えるが橋の工事中で工事車両が片側を占拠して駐車していたので橋からの写真は撮れなかった。
〇中江の島と定置網 この写真を見る 

今回の研修旅行(フィールドワーク)は、有意義だったと思うし、行けなかった場所、特に「隠れキリシタン(当事者たちはその様には称していないとのこと)」として現存している集落等での見聞が出来なかった面があるので次の機会を待ちます。

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