ふるさと【ながいと】再発見・・長野編

7月25日(土)午前9時半より表記のフィールドワークが行われました。
0-1 しおり長野編-v960

地元の事でも意外に見過ごしていることが多いし、まちづくり推進委員会「歴史文化部会」が編纂した冊子【ふるさと ながいと】に記述されている個所を見て回ろうと言う試みです。

今回はシリーズ②として,「長野行政区」管内を担当者の説明を受けながら見て回りました。
◯公民館で事前学習 この写真を見る 
◯行程地図
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◯公民館前に集合し木陰でルートの説明を受けて この写真を見る 
◯最初の目的地【宮ノ前遺跡】に向かいました。 この写真を見る この写真を見る  この写真を見る
この遺跡は長野川東側の圃場整備の際に発見され、宇美八幡宮参道脇南側に三基移設されています。 この写真を見る  この写真を見る  
◯宇美八幡宮馬場先から宮ノ前遺跡の説明を受ける  この写真を見る この写真を見る 

次に向かったのは【地蔵堂】
◯地蔵堂跡前にて  この写真を見る 
現在は小さな文字が刻まれた石碑のみで、 この写真を見る この写真を見る 昔はお堂もあり佛像も数体祀られていたとのことだが、地名だけが字名として残っています。

次に向かったのは庄屋跡(住居は現存しており子孫の方が日常使われています)
◯庄屋屋敷前で休憩 この写真を見る 
◯屋敷横にある槇の木 この写真を見る この写真を見る 

次は、玉栄寺(浄土真宗本願寺派)と参道脇中島のの仏堂(地元では大日様の名で親しまれています)
◯住職の説明を聞く この写真を見る 
◯仏像の名前と由来を溝口氏より聞く この写真を見る 

次に回ったのが献穀祭田跡地、 この写真を見る
ここで、故井上俊一翁の自宅蔵の土台石の角が敷地からはみ出していると誤解を生む話と、宅地を分割して道に寄贈した話、長野地区の屋号についての話もありました。
 池川や後川の水流をうまく使った家業(製粉)の紹介もありました。

次に稲荷社
◯由来を聞く参加者
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長野峠にあった社殿が老朽化し昭和62年に移築し現在も長野区民により毎年4月初めに祭典が行われています。

◯最後は、主基祭田候補地跡 この写真を見る   この写真を見る 
校区全世帯が当時の金で十銭宛拠出し建立された候補地跡の石碑、本来の候補地からかなり東側に建てられています。
圃場整備の時、放置されたままであったのを見かねた一住民が自分の田の横に建立したとのことです。
個人的感覚ですが、石碑由来の事情も知らずに圃場整備工事に携わり撤去したまま放置した関係者の常識を疑います。⇒ この工事に先立ち行われた「埋蔵遺跡」の調査も県営圃場整備優先で、詳細な調査は省略されたのではないかと推測しています。

ここを最後に公民館に向かいましたが、梅雨の晴れ間の日差しが強い中、丁度正午前に終わりました。

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