二学期に六年生の授業で「私の戦争体験」について話して欲しいと依頼され引き受けたのは良いが、小学二年生の時、満州国の撫順市で終戦を迎え、四年生の夏に引き揚げのため葫蘆島で貨物船に乗り佐世保の浦頭に上陸しましたが、当時の記憶が定かでないのとパワーポイントでデジタルテレビを使っての説明をしようと当時の画像をネットで探していますが中々見つからないものです。資料館に出掛けてと言う手もありますがそこまで手が回らず・・・でも、世の中には親切な人が居られますね。引き揚げ時のことを浦頭資料館に尋ねて調べた結果を教えてくれたり、偶然にも私より二年先輩の永安小学校の事にも詳しい方を紹介してくれたりと、色々聞いたり調べている内に忘れていた嫌な経験が想い出されて来ました。 でも、この嫌な想いは戦争の惨さ、犠牲になるのは弱い国民で、この様な戦争は起こすべきでないと戦争を知らない次世代に残して置くべきだろうと思いながらゲストティーチャーを依頼してくれた先生に感謝しながら纏めています。

寒みそぎ(熊野神社)

it_logo熊野神社の寒禊ぎは、白糸地区の熊野神社に於いて、12月17日の深夜から準備される。

 毎年12月17日深夜(18日0時)に開催されていましたが、2014年より12月第三土曜日深夜(日曜日午前零時)開催に変更になりました。

名勝白糸の滝の下流の「みそぎ場」に年男の未婚青年を選び、この男性を中心に「みそぎ行事」を行う。

kigou写真で綴る「寒みそぎ祭のすべて」2004年
kigou「寒みそぎ祭のすべて」2003年

it_logo祭りの流れ

18日午前0時、一番太鼓を合図に神殿に集まる。
二番太鼓で祭典が始まり、おはらいとおみきで無事に行事を終えるように祈り、三番太鼓で締込み一つになった男たちは、提灯とたいまつを先頭に一斗桶をかつぐ年男二人が続き、五、六十人が一団となって「みそぎ場」まで約二百メートルをひた走る。
一斗桶の中には旧暦で12月ある年は一升二合、13月の年は一升三合の米を入れ
宮司が禊払いを行う中でその米をとぐ。
その間他の者は、氷柱の立つ冷たい川水に腰までつかって身を清め水をかけ合う。

it_logo年男によってとがれた米を境内に戻って露天釜で炊き、お礼とお願いの祭事を行いそのご飯を高く細くつみあげて熊野神社の祭神であるイザナギ、速玉男命、事解男命、大山祇命にそれぞれ一盛づつと観音様に一盛の計四膳を供え、数日後その傾き方によって年の豊凶を占う。
また、参詣者には刃物を使うと栄養が落ちると山伏の言い伝えから、包丁を使わずに手でちぎったコンニャクを使った混ぜご飯で作った特大のおにぎりと刃物を入れない長いタクアン、青菜漬けがふるまわれる。
行事が終わるのは四時近く、帰路につくころには冬の夜がしらじらと明ける。

it_logoまた、熊野神社には古文書が残っていないため、寒みそぎについても定かな事はわからないが、流行病のため地元の人が死んでしまったので山伏が荒行を行ったのが始まりといわれている。その後、無病息災、五穀豊穣を祈る祭りになった。(この説明は、長糸公民館に所蔵されている文献から抜粋しました。)
注:アンダーライン部分は諸説があり、地区の古老や神官にお尋ねし、後日修正します。